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洞窟博物館への道中で出会った「展示ではない現実」 ―洞窟で暮らす人の集落で感じたこと

スペイン/アンダルシア地方のグラナダには、きらびやかなアルハンブラ宮殿があり、ユネスコ世界遺産にも登録されています。

一方、その背後の谷にはサクロモンテと呼ばれる地域があり、ロマの人々の住居としての洞窟を展示した博物館があります。

 

ロマとは国を持たない少数民族で、人口は約1000万人以上にのぼると考えられています。これほどの人数がいながら、彼らの存在や歴史は、ヨーロッパ社会の中で語られることの少ないテーマです。

「ジプシー」という呼び名は、彼らがエジプトから来たと誤解されていたことに由来しますが、実際にはインド方面を起源とする人々だと考えられています。国を持たず、各地を移動しながら暮らしてきた歴史は、ユダヤ人とも重なります。

ホロコーストでは、ユダヤ人と同様に、ロマの人々も大量虐殺の対象となりました。それにもかかわらず、その事実を知っている人は決して多くありません。現在、「ジプシー」という言葉は差別的な意味合いを含むとされ、

1970年代に開かれた国際会議において、当事者の意見を反映する形で「ロマ」という呼称が正式に採用されました。

ただし、ロマは決して一枚岩ではなく、地域や歴史によって異なるグループが存在します。

 

そのため、「自分たちはロマではない」と主張する人々がいるのも事実です。また、社会的差別や不利益を避けるために、ロマであることを隠して生活する人も多いとされています。

 

一方で、アンダルシア地方にはロマの人々が多く暮らしており、音楽や舞踊などの文化を通じて、地域社会と深く結びついてきた歴史もあります。

先日、グラナダでサクロモンテの博物館を訪ねようと思い、Googleマップを片手に近道を試みていたところ不注意にも迷い、現在もロマや浮浪者が実際に生活している集落の中に入ってしまいました。

集落に入ってほどなく、前歯がすべてなく、爪は真っ黒で、入れ墨をし、靴もダウンも泥で汚れた年配の女性が近づいてきました。

彼女は恐らくはスペイン語で早口に、「ここはプライベートな敷地なの。博物館への道は教えてあげる。私の家も見せてあげるから、ついてきて」というようなことをまくしたてながら、手を取ろうとします。瞬間的に恐怖を感じたので、言葉が分からないふりをして早足で歩き続けましたが、彼女は意に介さず話し続けます。周囲にいた集落の男性たちが、おそらく彼女を止めようとしましたが、彼女は激しい口調で言い返しました。最終的に彼女は、私ではなくパートナーの腕を取って引っ張ろうとしました。パートナーは小声で「この状況はまずい。小銭を渡して」と言います。私が渡した数ユーロに対して、彼女はさらに金銭を要求しました。結果的にさらに数ユーロを渡すと、彼女は喜んで抱きついてきましたが、こちらは何か盗られるのではないかとポケットを押さえる始末です。

 

ようやく洞窟博物館にたどり着き、安全な道を尋ねると、「基本的には無視してください。暴力を振るわれることはほとんどありませんから」と、慣れた様子で苦笑いしながら言っていました。

その地域には確かに人が住んでいました。人によっては電気も水もありますが、レベルは極めて多様で、ソーラーや発電機で電気を作る人もいれば、大きなボトルの水を運んでくる人もいます。独自のルールやコミュニケーションが存在している場所であり、国の制度や社会保障、教育、雇用といった枠組みから、切り離された空間であるように見えました。

 

警察がどこまで介入するのか、行政がどこまで関与しているのかは、外からは分かりません。私が最も衝撃を受けたのは、現代のヨーロッパにおいても、社会制度に組み込まれないまま生活している人々が、一定数存在しているという事実でした。「無法」なのではなく、制度が届かない、あるいは意図的に距離を保たれてきた結果なのかもしれません。

彼らは赤ちゃんとして生まれたとき、どのように迎えられたのでしょうか。

 

このような生活を送る未来を、最初から予想できたのでしょうか。

もし親も同じ環境にいた場合、子どもがそこから抜け出すことは、果たして可能だったのでしょうか。

 

少なくとも言えるのは、これは個人の資質や努力だけで説明できる問題ではなく、長い歴史と社会構造の中で作られてきた問題だということです。怖い体験であると同時に、観光では見えない現実と向き合わざるを得なかった、忘れがたい経験になりました。(Y・A)

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