あるべき指導者の不在

 

 早春の楽しみの一つは、梅の香に佇み、春の息吹に浸る瞬間である。

 

 我社のある三鷹駅から井の頭公園に向かう玉川上水に沿って

 十数本の梅の木が見事な春の競演を披露してくれていた。

 

 昨年の暮れ、数十本の大木が切り落され、

 梅の木もそのほとんどが枝を落とされ、無残なまでの姿に。

 

 その折、事前の伐採の告知に驚き、管理事務所に直接連絡、担当者の方に

 軽々な判断は留まるべきとの具申を致し、

 玉川上水の歴史を踏まえ、木々、花々の命に思いを致しての

 専門家としての判断であるか否かの問いかけもした。

 

 が、決定は覆ることはなく、現下の無残な仕打ちに言葉を失う程である。

 

 今、専門外の無責任な人々からの出まかせ、人心を弄ぶ意味なき風潮が

 日本国を覆っている。

 

 国家観、歴史観、世界観なき政治の世界、産業界・マスメディアの世界、

 専門家と言われるも、日々の研鑽を怠る者達の世界。

 

 この不幸のもたらす現実に対し、小さきけれど凛と咲く梅の花を見るに、

 出来ることはあるの思いを強くする。 (T)

 

 

 

何も言わず、細い枝から。2021.2.13

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